こんにちは!
あっしゅ@oborerublogです。
あなたの人生に宝物はありますか?
僕の人生には何もありません。その原因と対策の回答例が小説の中にありました。
蓮見圭一さんが描く小説『水曜の朝、午前三時』を読んだので、感想を書き殴ります。
- 直美の魅力的な人生観
- 読む前より行動的に
- そこら辺の自己啓発本より面白い
- 物語の起伏がなく退屈
- 大阪万博を経験していない人は掴みにくい
直美の人生観は若い時に読んでおきたいけど、舞台が大阪万博が中心の時代だからピンとこないかも。
それを踏まえても楽しめる作品でした。
あんたは人生にどんな宝物を求めますか?
『水曜の朝、午前三時』とは?
テーマをつけるとしたら『恋と人生』ですかね。
恋と言っても、青春とは対極にある気がします。
ざっくりあらすじ
- 親の反対を押し切り大阪万博のコンパニオンになる
- 許嫁を捨て、恋人からも逃げる
- 娘・を生む
余命を告げられた直美が残したテープを描き起こした作品です。
物語的には起伏はあまりなく、前半は特に淡々と直美の語りで進んでいくので正直退屈。
面白さは物語にあるというより直美の生き方やモノの考え方、価値観にあると思います。
蓮見圭一さん描く『水曜の朝、午前三時』
半分くらい読んだけど、作品の全体像がよく見えない😑
どうやって終結するのか?
『理想を持つことは大切だけれど、実際には理想主義者の隣人ほどはた迷惑なものはないのです。』
この直美の考え方は皮肉がきいてて好き✨ pic.twitter.com/bYOgFf7VUx
— あっしゅ@ぶろぐ (@oborerublog) February 9, 2020
テンポが良い作品とは言えません。読み終えるまでに結構時間を費やしてしまいました。
直美の生き方
今ある現状を当たり前だと思っていない。
両親が勧めてくること、職場の人間が噂していること、常識とされていること。
世の中には自分が認識したことがないものでも、あたかも確定した事実のように強要されることがあります。
僕を含めたほとんどの人は自分の意志を持っていても流されてしまいがち。ただ、直美は流されない。それが僕の直美に対する印象です。
そう思わせる考え方がいくつも描写で確認できるのでとても面白い。
ひょっとしたら、いい人というのは退屈な人と同義なのではないだろうか?
いい人=都合のいい人。
そんなひねくれた考えを持っている僕にとっては退屈な人という意見は納得できるものがあります。
許嫁に対する直美の印象は退屈だったということですね。今の時代で許嫁という文化は一般的ではないので、僕にはいまいち理解ができません。
全てが自分ではない人間の意思によって決定されてしまうという事実は不幸の象徴であるように感じてしまいます。
理想を持つことは大切だけれど、実際には理想主義者の隣人ほどはた迷惑なものはないのです。
理想の押し付け。
理想すらない僕にとっては理想を持っているというだけで尊敬に値します。
掲げている人は「自分は善い行いをしているに違いない!」と意気込んでいる。
革命を起こすには、そういった心に秘めた思いが必要不可欠です。
じゃあ、それを普段の生活でやるとどうなるか。普段の生活において革命は必要ありません。必要なのは安寧な暮らし。
理想は逆に安泰を脅かす起爆剤になってしまいます。
爆発は見ている分にはエンターテインメントとして扱うこともできますが、隣にいる人にとってはただの危機。
理想は表立って掲げず、心の内にしまっておくくらいが丁度良い気がします。
——人間は選択して決意した瞬間に飛躍する。
これには僕は賛同できませんでした。
直美は強い人だから、決意した瞬間に飛躍できてしまうんだと思います。
対して僕のような当事者意識が薄い人間は決意したはいいものの、ちょっとした刺激や衝撃で揺らぎ崩れてしまう。あの決意は何だったのかと言いたくなるほどに。
人生の成功者と言われるような人はこれが当てはまってしまう人だと勝手に解釈しています。
決意しただけで飛躍できるなら、いくらでも決意しますよ。
ある時、とても哀しいことがあって、兄に相談したことがあった。兄はひと通り私の話を聞いてから、こう言ったの。その人が言ったことをそんなに気にしなければいけないほど、お前はその人のことを重視しているのかって。
僕はこの作品を読んだ後、就活が始まりました。
そこでこの考え方は凄く心を整えてくれます。
就活と言えば、もちろん面接があるので何社か受けに行きます。
30分話しただけで、僕の一体何が分かるのか。今日初めて会った面接官が勝手に評価して適性やらなんやらと僕のことを決定していく。
そんな人に「お祈り申し上げます」と言われたところで、何のダメージもない。
そこで初めて会った面接官のことを尊敬しているわけでも好きなわけでもないのだから。
という考え方に行きついて、面接を受けるときの気持ちが少し軽くなりました。
緊張を和らげる方法としても有効です。
しかし、その母でさえ、差別も病気の一種であるということには敢えて気づかない振りをしていたのです。人類の進歩と調和——何て嘘っぱちで皮肉な半年間だったのでしょう。
恋人が朝鮮人だと分かり、直美は逃げました。
今でこそグローバル化が進み、学校に海外から来た人がいるという光景はさほど珍しくもなかったりします。
それでも、日本という島国では排他的な価値観を持つ人が多くいます。
『人類の進歩と調和』を掲げていたはずの大阪万博を迎えてから、50年が経過した今でも進歩こそしたものの調和していない。
僕には全く分かりません。
好きになった人が望む国籍じゃなかったからと言って、なぜ簡単に諦めてしまうのか。
後悔することを恐れて口を閉ざしている人は、私の知る限り、不幸に見舞われることもない代わりに、幸運に出会うこともなかったように思います。
行動が全てを生み出す。後悔を恐れていたら、何も生まれない。
それは間違いない正論です。でも、僕はそれに素直に頷いて肯定することができません。
人生に劇的なんていらない。「何も求めないから、何も奪わないでほしい」、それが僕の願いです。
幸せを掴んでも、その重みに耐えうる自分を持ち合わせていない。なら、何も起こらない劇的とは無縁の人生でいい。
むしろ、不幸のぬるま湯に浸かっているくらいが丁度いい。
こんな戯言を言っていると、幸せになろうとしないのは怠慢だと誰かに怒られそうですね。
程度の差こそあれ、胸の内に他の誰かを思い描かない既婚者などいるはずがない。
僕は既婚者ではないので全く分かりませんが、そんなものなんでしょうか。
これを証明するには自分が結婚するしかない。つまり証明不可能ということか。
結婚した友達に今度聞いてみよう。
人生の宝物
結局、どんな物語だったのかという質問に対しては、宝探しの物語という回答が正解な気がします。
私は時間をかけて、どこかにあるはずの宝物を探し回っていたのです。ただ漫然と生きていては何も見つけることはできない。でも、耳を澄まし、目を見開いて注意深く進めば、きっと何かが見えてくるはずです。
直美にとっての宝物は、
- 恋人だった臼井
- 夫
- 娘・葉子
ということですかね。
自分にとって宝物は何なんだろう?と漠然といきているうちは宝物など見つからないということなんでしょう。
宝物が地面に偶然にも自分の目の前に落ちている状況はまずありえない。
土を掘り起こし、掴んでこその宝物。
重要なのは主体性ということですね。
まとめ
この作品の醍醐味はやはり直美の人間的魅力ではないでしょうか。
面白い生き方をしている人は周りから魅力的に見えるものです。
僕は人生で「最期を迎える前に、これはやっておきたい」ということを実行しようとしていますが、直美のように宝物を探すことができているかは微妙なところ。
ただ、自分のしたいことをし続けていれば、宝物が見つからなくともヒントくらいは顔を出してくれるきがします。
今回はそんな宝物を探したくなる一冊でした。
最後に
既婚者になって、胸の内に他の女性を思い浮かべたい。
最後まで読んでくれてありがとね。あっしゅ@oborerublogでした。
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