こんにちは!
あっしゅ@oborerublogです。
成人式で小学校6年生の時に書いた二十歳の自分に宛てた手紙が配られました。
個人情報は伏せつつ、公開しようと思います。
ざっくり感想はこんな感じ。
- 文章が稚拙
- 小学生の自分は楽しそう
- ちょっと励まされる
過去の自分の言葉を読んでいるというのは不思議な感覚です。
過去の自分からの手紙
とりあえず、稚拙な文章を見てやってください。
二十才の自分へ
12才のころのぼくです。二十才のぼくは元気ですか。大学には行っていますか。友達はたくさんいますか。中学校から英語が始まるけどできてますか。東海大地震は起こりましたか。6年〇組の〇班を覚えていますか。○○(友達1)や○○君(友達2)覚えてる。すごく楽しかったね。バレーボールはどうですか。○○(所属していたクラブチーム名)の時はおしかったね。あと少しで全国大会だったよね。中学、高校どうだった。〇〇(友達3)や〇〇君(友達4)とうまくやってる。ローテーションはどうですか。トスは良いとしてもレシーブやアタックどう。小学生時代をおもいだしてみて。初めて○○大会(県大会の先)に行ったよね。2回目は決勝戦で○○(相手チーム名)に負けて全国大会に行けなかったの覚えてる。まあいろいろあったけどこれからも夢をあきらめず元気に生きてね。
まず感じたのは「字がきたねぇな」って。
書道を3年間くらいやっていたのに、その成果が一文字にも表れていない。
そして、質問が多すぎる。まぁ、答えていきましょう。
二十歳の僕は元気と言えば元気です。病気とかはしていません。ただ、もしかしたら精神的には病気かもしれない。
「大学には行ってますか。」と言われると苦しい。ほどほどには行ってます。
こんな記事を書いてしまうくらいなのでお察しください。
友達は少ないけどいますよ。中学も高校も大学も良い友達に恵まれました。
これからも大切にしていくつもりです。
英語は難しい。中学・高校と6年間も勉強したのに全然喋れるようになんてならない。
でも、『ONE OK ROCK』を好きになって英語に対する嫌悪感みたいなのはなくなりました。
6年生の班は名前だけなら女の子も含めて全員はっきりと思い出せる。でも、正直なところ楽しかった記憶は何も思い出せない。ごめん小6の僕よ。
東海大地震って言われてたのか。今は南海トラフ地震って言い方が一般的だね。まだ来てないけど。もうすぐ来る、もうすぐ来るって言い続けてるからもうすぐ来るんじゃないかな。
小学校時代のバレーボールは今でも鮮明に思い出す。全国大会の夢が絶たれた瞬間も昨日のことみたいに浮かんでくる。
練習大変すぎて仮病で休んだことも覚えてる。この辛い練習があったからこそ、それからの人生で辛いことにぶち当たっても挫けなかった。
「あの時の練習の方が辛かったよな」って思ったから大抵のことは乗り越えてきた。
小学校の時点ではチビで窮屈な思いをしたと思う。でも、今では180㎝だぞ。
それもこれも睡眠のおかげ。
成長したからポジションはどんどん変わっていってそのたび苦労したけど、バレーボールをより深く楽しめるようになった。高校で背番号1を背負ってエースとして戦ったのは今でも誇り。
「これからも夢をあきらめず元気に生きてね」って結構核心をついてるなとビックリしてます。
とりあえず、現時点においての夢と言えるような最大目標は『静かな空間でハンモックの上で小説を読むこと』。
やりたいことはいっぱいある。
大学をストレートで卒業できないときは生きるのを諦めると思うけど、そうならないように頑張ります。
二十歳からの手紙
過去の自分からの手紙ってなんか良いですよね。
生活していて小学校時代を思い出すことなんて無いですからね。
そんなわけで、10年後の自分へ手紙を書きました。
12才の僕からの手紙がなければ、こんな発想は生まれなかったので素直に感謝です。
今度は文章も稚拙じゃないし、字も綺麗なはずだから読みごたえがあるはず。と思いたい。
まとめ
SNSが発展して使用頻度が減っても、手紙は人の心を動かす”ナニカ”を持っている魅力的な媒体ですね。
字が汚く稚拙な文章でも、小学校の僕はかなり人生を楽しんでいたというのが伝わってきました。
筆圧や文字のクセなんかは手紙でしか表現することができません。
この時を越えている不思議な感覚をあなたも味わってみては?
最後に
純粋な小学生に戻りたい。
最後まで読んでくれてありがとね。あっしゅ@oborerublogでした。
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