こんにちは!
あっしゅ@oborerublogです。
大好きな小説家・三秋縋さんの『君の話』を読んだので、感想を書き殴ります。
ざっくり感想はこんな感じ。
- 欠陥を補う義憶というシステム
- B面からの物語の加速感
- 絶望の底にいる二人のどこまでも優しい嘘
- 感情移入しすぎてシンドイ
三秋縋さんの作品すべてに共通して言えることですが、ハッピーエンドかバットエンドか断言するのが難しい。
読者の受け止め方次第で物語の意味が大きく変わります。
現状の自分に絶望していればしている人ほど、心に深く刺さってしまうような作品だと感じました。
この人の描く作品は本当に中毒性があります。ご注意を。
ネタバレもあります。ご容赦ください。
『君の話』とは?
物語を描くのは三秋縋さん@everb1ue。
- 『三日間の幸福』
- 『恋する寄生虫』
- 『スターティング・オーヴァー』
人の存在する価値が高まるような瞬間を誰よりも美しく描く天才だと僕は勝手に解釈しています。
これまでにも数々の名作を生み出してきました。中でも僕の一番のお気に入りは『恋する寄生虫』。
SF要素も取り入れながら構築される独特の世界観と自己肯定感が低い二人の関係性の発展が引き込まれます。超絶おすすめの一冊。
『君の話』も負けず劣らずの名作だと断言できます。
特に”義憶”という世界観のインパクトは凄まじいものでした。
新刊『君の話』が7月19日に早川書房より発売されます。
架空の記憶を脳に植えつける技術が広く普及した時代、手違いから偽物の少年時代の記憶を刷り込まれた青年が、思い出の中だけの存在のはずだった最愛の幼馴染と再会してしまう話です。
出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた恋の物語。 pic.twitter.com/E16AUy98Z4— 三秋 縋 (@everb1ue) July 6, 2018
自身で「これまでで一番」というほどの完成度。読めばその言葉に納得せざるを得ません。
個人的にこの人の作品は読み手の境遇も評価を左右する要素になると思っています。
「自分の人生はあまりにも空っぽだった」、「思い出と呼べるものはどこにもない」、そんな現実に諦めや絶望を抱く人はズブズブと作品の世界観に溺れていくことができます。
逆に「今が楽しくてしょうがない」という前向きに生きている人には薄っぺらい印象を受けてしまうかもしれません。
自分の周りが暗ければ暗いほど千尋と灯花の重い人生と共鳴して、最後の一瞬の輝きに救済されたような感覚に襲われます。
そんな三秋さんの作風の根幹には村上春樹さんの存在があるようで、Twitterでも『君の話』を創るきっかけを語っています。
ちなみに『君の話』執筆の動機になった「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を収録した『カンガルー日和』、『国境の南、太陽の西』も8月3日からKindleで配信されるようです。『4月〜』は8ページの掌編ですし、『国境〜』は最初の20ページだけでも読む価値がありますよ。
— 三秋 縋 (@everb1ue) July 31, 2018
表紙デザインを担当したのは紺野真弓さん@konnomym。
これまでの作品とはまた違った雰囲気を表紙からも感じ取ることができます。
【おしらせ】7月19日に発売の『君の話』(著者・三秋縋さん/早川書房)の装画を担当させていただきました。デザインは鈴木久美さん。
画像は表紙だけですが、裏表紙まで繋がった絵になっています。ぜひ書店でお手に取ってみてください! pic.twitter.com/xuztUayPR6— 紺野真弓 Mayumi Konno (@konnomym) July 6, 2018
購入したら是非カバーを外してみてください。新しい発見があるかも。
中身だけではなく小説という全体で作品を感じられます。
ちなみに表紙絵の花は『桔梗』という名前で花言葉は『永遠の愛』。
僕は読み始めたら止まりませんでした。
一気読みできます。僕は購入したその日に読み終えました。
義憶というifの世界
本作で最も重要な設定と言えば、間違いなく“義憶”でしょう。
記憶の上書き・消去が自由な世界でそれは義手や義足などの補助的な道具のように扱われる。
- 青春時代の欠落を補う<グリーングリーン>
- 理想のために削ぎ落す<レーテ>
- 灯花が生み出した<ボーイミーツガール>
- 千尋が生み出した<ヒロイン>
作中でも数種類の義憶が登場しました。
「もしも、現実世界に義憶が存在したら?」
読み終えた方なら一度はこんな考えが頭に浮かびますよね。
僕は輝いた青春とは縁遠い空っぽな人生を送っていました。空っぽという点に置いては、今も送っている最中です。
おかげで、読み終わってからは様々な妄想が頭の中を駆け巡っていました。
つまらない高校生活が充実していたら。友達と一緒に勉強したり、球技大会でヒーローになったり、恋人と制服デートしたり。
僕の現実は大学受験を失敗したということ以外で劇的なことは何一つ巻き起こらなかった無色透明な毎日。
そんな空っぽな日々も鮮やかにできるというのはかなり魅力的です。
考えれば考えるほど、if世界の輝きは増すばかり。
ただ、本当に義憶が現実世界で実装されることになっても僕自身が使用するには至らない。そんな気がします。
理由は物語序盤の千尋と同じ考え方。
自分の頭の中で一番美しい記憶が他人の作り話だなんて、虚しすぎるではないか。
どんなに理想の義憶を手に入れても、現実は何一つ変わりません。
結局のところ、僕は幸せの重みに耐えうる自我を持ち合わせていない。幸せに溺れるよりも、不幸というぬるま湯に足首を浸かった状態のままでいる。
そんな人生の方が楽だという結論に情けなくも達してしまいました。
「私は、嘘が好きだよ」
義憶に頼らない人生というのは幸せであることの証明なのかもしれません。
僕は尊敬まではせずとも感謝できる両親がいます。多くはないけれど友達と呼べる人が何人かいます。愛していると言える人はいませんが、僕の環境は間違いなく幸せです。
家族を憎み、友達と呼べる人はおらず、愛し愛されることもない。
誰よりも空っぽだった二人は義憶に縋ることが必要で、それが救いに感じた。
千尋と灯花の二人だからこそ優しい嘘の持つ力を示すことができたのではないでしょうか。
王道設定の心地よさ
設定を思い返すと定番な要素ばかり詰め込まれています。
- 幼馴染
- 夏祭り
- 病気
悪くいってしまうとありきたりな設定。
『三日間の幸福』でも幼馴染だったり神社だったりの要素がありました。こういうのが好きなのかもしれませんね。
にもかかわらず、そんな定番さは全く感じさせない展開と構成。
それには義憶という独特の要素が一役買っているのかもしれません。
新型アルツハイマー病も現実にあるアルツハイマー病をもとにして義憶を生かすようなものでした。
どこまでも鮮明な意識を保ったまま、自分という人間が失われていく過程を直視しなければならないのだ。
忘れているという事実を認識するというのは考えるだけで恐ろしいものです。
病気の物語はあまり好きではなかったはずなのに、いつの間にか時間も忘れてのめり込んでいました。
特に引き込まれたのはA面からB面に裏返ってから。
僕には僕の人生があって、あなたにはあなたの人生がある。それはとても自然なことで当たり前のこと。
ただ、小説になると一人称視点だったりするのでそんな当然のことも意外と忘れがちです。
「レコードは、A面が終わったら、ひっくり返してB面にしてあげないといけないの」
視点が変われば物語の見え方は大きく変わる。白に見えたものも黒に見えることだってあります。
- 自分の記憶と義憶と現実の境界で彷徨う千尋視点がA面
- 灯花の過去とこれまでの行動の隠された秘密を明かす灯花視点がB面
いわゆるネタばらしにあたるのがB面です。
序盤で義憶の中の幼馴染であるはずの灯花がなぜ現実にいるのか?僕は序盤で千尋の記憶に何らかの仕掛けが隠されているものだと思いながら読み進めていました。
千尋視点の語りだったので当然千尋が物語の中心だと勘違い。灯花の立場になって考えていませんでした。
他の小説ではないような構成や設定があるからこそ、王道要素がより輝いて見える気がします。
偽物の記憶なんていらない究極の二人
5人の妻を義憶によって手に入れた父親と息子を義憶で消去した母親に育てられ義憶を素直に受け入れることができない千尋。
病によって外に出ることも許されず、親からも腫れ物のような扱いを受けてきた灯花。
お互いに辛すぎる人生を送ってきたわけですが、個人的に特に灯花の方が読んでいて辛かった。
喘息の恐怖から逃れても、新型アルツハイマー病が判明する。
喪失の恐怖を味わわずに済む余生を喜べばいいのか、喪失するものさえ手に入れられなかった半生を嘆けばいいのか、私には判断がつきかねた。
あまりに救われなさすぎる。
余命宣告同然の病気を告げられ、自分の人生の終わりがはっきりと認識できてしまう。本来なら記憶の喪失に恐怖して気が動転してもおかしくない場面。
今も今までも、そしてこれからも何もない。喜ぶことも嘆くことも灯花はできません。
それでも心の奥底ではあるんですよね。願いが。
たった一度でいいから誰かに褒めてほしかった。労ってほしかった。哀れんでほしかった。小さな子供を相手にするように、無条件にすべてを受け入れて、優しく包み込んでほしかった。私の孤独を百パーセント理解してくれる百パーセントの男の子に百パーセントの愛を注がれてみたかった。そうして嘆き悲しみ、一生消えない傷として心に刻みつけてほしかった。私を至らしめた病を憎み、私に優しくなかった人々を恨み、私のいない世界を呪ってほしかった。
たった一度でいい、というあまりにも謙虚な願い。
そんな願いも叶えることができない。こんな原初的欲求を人生で満たせなければ、人生に意味を感じることはできるはずもありません。
でも、唯一無二の救いが千尋の存在でしたね。
偽物の記憶なんかに仲立ちされなくとも、最初から僕たちは究極の二人だったのに。
回りくどい手段で千尋に近づく必要なんてなかった。
灯花がどんな過去を辿ってどんな風に生きてどんな人間であるかを伝えるだけで、二人は理解し合って運命的な出会いをもたらすことができたのに。
たとえ、余命僅かな限定的なものだったとしても。
結局のところ、灯花は千尋の義憶の中でしか生きられず、千尋は灯花の義憶の中でしか生きられなかった。
そして灯花は生涯に幕を降ろす。ハッピーエンドなんて軽々しく言うことはできない。
でも、完璧なバッドエンドでもなかった。そう言える気がします。
二人の物語は劇的であることは間違いない。
喜劇的か、悲劇的か、それとも歌劇的か。
まとめ
三秋さんの自信作ということもあって、非常に満足です。
- 絶望の優しい嘘
- 不幸の中の幸福
本当にこれらの要素が輝いています。この感覚は他の方ではなかなか味わえません。
結末が不幸か幸福かは読者の価値観によって大きく変わるところだと思います。
一概に結末の善し悪しを語るのは難しい。そんなところもこの方の作品の興味をそそられる部分ですね。
次回作にも超絶期待をして、待っています(*´艸`)
最後に
まず義憶を使える精神力が欲しい。
最後まで読んでくれてありがとね。あっしゅ@oborerublogでした。
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