こんにちは!
建築学生ブロガー、あっしゅ@oborerubogです。
タロットカードだとあなたは何に当たるでしょう?
”力”だとは認めたくないところ。
米澤穂信さん描く<古典部>シリーズの第二弾、小説『愚者のエンドロール』を読んだので感想を書き殴ります。
- 『氷菓』よりもミステリー色が強め
- 理解が深まるほど、面白さに気づく
- 読後、冒頭に戻りたくなる
- 大きな事件性はない
二周、三周と読み重ねるほどこの作品の魅力というものが自分の中で増していきます。
<古典部>シリーズの世界に溺れてください。
ネタバレあります。ご容赦ください。
<古典部>シリーズ『愚者のエンドロール』とは?
前作『氷菓』と比べても、推理をするという色が強くなっている作品。
ざっくりあらすじ。
- とあるクラスの未完となっている映画の結末を推理
- クラスの探偵役の持論を古典部が審判
- 未完となっていた本当の理由が明らかになる
『氷菓』が「わたし、気になります」から始まる積極的推理とすると、『愚者のエンドロール』は依頼されて始まる受動的推理。
雰囲気も少し変わっていると感じるかもしれません。
謎を解いていく過程も十分楽しめますが、この作品の面白さの本質はその先にあります。
どうして謎が生まれたのか?
根っこの部分が分かってくると、登場人物の魂胆も見えてきます。
愚者とは誰のことか?
愚者とはその字面通り『愚か者』という捉え方がまずできると思います。
しかし、今作に関しては違うでしょう。
タロットの話題の中で『愚者』というカードがあり、えるに相応しいと里志もえる自身も認めるところでした。
えるのミステリーに対する考え方は本郷と類似。
『愚者のエンドロール』とはえると望んだ結末であり、本郷の望んだ結末でもあると言えます。
入須先輩の嘘
『女帝』と呼ばれる、およそ高校生とは思えない立ち居振る舞いを見せる入須。
入須の周りの人間は全て彼女の手駒になってしまう。
そんな恐ろしい才覚があってたまるか、と思いつつも実際に過剰な表現というわけでもありませんでした。
- クラス全体
- 探偵役
- 古典部
- 奉太郎
- 本郷
- 折木供恵
これらすべてに嘘をつき手駒にしていたのですから、笑いごとでは済まされません。
クラスには本郷が病気であると伝え、奉太郎を釣る餌として探偵役を用意。
奉太郎に案を却下させるために古典部に審判をさせ、才を持つものとして奉太郎を踊らせた。
真偽は不明だけれど、本郷の脚本が絶賛できるモノではなかったために入須は却下する意味で本郷の逃亡に協力したとも考えられる。
奉太郎の姉・供恵には本郷を守りたいという意志を伝え助言を貰った。
末恐ろしい。
結局、全て掌で踊らされていただけ。
映画はクラスメイトも大方満足する結末に帰結して、途中で破綻することはなく成功という形で終わることができました。
みなを率いるリーダー的なポジションの適正値が高すぎる気がします。
奉太郎としては苦すぎる記憶になってしまいましたがね。
タロットカード
『愚者のエンドロール』という題にもあるように、作中ではタロットが話題に登場していました。
- 力(奉太郎):内面の強さ・闘志
- 愚者(える):冒険心・好奇心
- 魔術師(里志):状況の開始・独創性
- 正義(摩耶花):平等・公平
- 女帝(入須):母性愛・豊穣な心
タロットを知ると思いのほか楽しくて占いとかもより興味深く感じるかもしれません。
自分はどのカードに当たるのか考えてみてください。
僕は『塔』がお似合いかな。
自分にしかできないこと
奉太郎は入須に才覚があると言われ、結末を推理するという選択をしました。
自分を信じる価値がある。
そう思っていたものの、真実には辿り着きませんした。
まぁ誰でも「お前は特別だ!」と言われたら、自己評価を覆したくもなります。
ただ、里志は違いました。
言わなかったっけ、僕は福部里志に才能がないことを知っているって。
果たしてこの疑わない思考を持ち合わせた人間が現実世界にどれほどいるだろう?
奉太郎に訊かれても”ない”と即答でした。
ここまで自分を分析して受け入れているって、考えるほど高校生離れしています。
こんな人と友達になってみたいものですね。
副題『Why didn’t she ask EBA ?』
『氷菓』に続いて『愚者のエンドロール』も副題があります。
『Why didn’t she ask EBA ?』
直訳すると『なぜ、エバに頼まなかったのか?』という感じになりますかね。
”エバ”とは本郷の親友で案内役だった江波のこと。
”She”とは入須のことだと予想します。
つまり『どうして、入須は本郷の親友である江波に映画の真相を訊くように頼まなかったのか?』と捉えることができそうです。
これをアガサ・クリスティーと絡めた副題にしているようで、
『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』(なぜ、エヴァンズにたのまなかったのか?、原題:Why Didn’t They Ask Evans?)は、1934年にイギリスの小説家アガサ・クリスティが発表した長編推理小説である。
なんとも遊び心に富んだ作品ですね。
ここから考えれば、奉太郎も真相に辿りついたのでしょうか?
ただ、そうなると入須の魂胆にそぐわない結果になってしまします。
真相に辿りつく推理力は持ち合わせていないが、万人を引き付ける結末を描くには丁度いい存在。
そんな風に入須は奉太郎のことを捉えていたのかも。
考えるほど恐ろしい、高校生とはとても思えない。
あとがき・五章の謎
前作『氷菓』のあとがきは興味深い謎解きがありました。
今作『愚者のエンドロール』のあとがきでは『毒入りチョコレート事件』から着想を得ていることなどが記されています。
その中でも特に僕の目を引いたのは内容に関する部分。
さて、本作の各章題は特に深遠な意図あって付けられたものではありません。が、五章だけは少し変わった付け方をしてみました。しかし真に驚くべきその方法を書くにはこの余白は狭すぎるようです。例の『寿司』事件とまとめてまた後日。どうか後日がありますように。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
五章は『味でしょう』。
どゆこと?
『氷菓』の『寿司』事件とともに、今回提示された謎も僕の腐った脳では回答まで導くことができませんでした。
答え合わせは第三作目『クドリャフカの順番』のあとがきに掲載されています。
一度でいいから謎を解いてみたいものですね。
まとめ
読み終わって考えてみると、作品の構成が秀逸だと純粋に感じました。
謎を与えたら奉太郎は必ず解いてしまう。
そんな全能さを感じさせるキャラクターだったために、映画の結末を導いたときはそれが正しいと信じて疑いませんでした。
- 奉太郎
- 本郷
- 入須
視点が変わるだけで物語の見方は大きく変化します。
推理するべきは映画という舞台側ではなく、その背景に当たる舞台裏。
二周目、三周目と読むたびに作品の魅力が積もっていく。
そんな作品でした。
最後に
タロット覚えて、知らない人に「あなたは力ですね!」と皮肉を言ってみたい。
最後まで読んでくれてありがとね。
あっしゅ@oborerublogでした。
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