こんにちは!
Ash(アッシュ)@oborerublogです。
湊かなえさんの小説『絶唱』を読んだので感想を書き殴ります。
感想はこんな感じ。
- 喪失と再生の描き方が汚くて綺麗
- 語り手の過去に潜む重さがダイレクトに伝わる
- ボランティアへの見方が変わる
- 被災の中心にいた人には辛すぎるかも
南の島から連想される温かさや楽しさとは対照的に嘘・偽善・逃避というマイナスの感情ばかりを詰め込んだ人たちが出てきます。
書店でなんとなく目に留まり、手に取り衝動買いした作品。読了して不満は全くありません。
それどころか、もう一度記憶を消して最初からこの物語に触れたい。
控えめに言って、読み応えしかありません。
ネタバレにご注意ください。
小説『絶唱』とは?
著者は湊かなえさん。主にミステリー作品を多く手掛けています。
他作品ではドラマ化しているものも多数あり、個人的には『告白』や『夜行観覧車』などが印象に残っています。
湊かなえさんの『絶唱』読了📚
最初から最後まで引き込まれたというか引き摺り込まれたというか、とにかくページをめくる手が止まらなかった。
教会で聖歌隊の合唱を聴いてみたい
年末にとんでもない作品にで巡り会ってしまった😆 pic.twitter.com/jA5ivO3JH2
— あっしゅ@ぶろぐ (@oborerublog) December 29, 2019
本作『絶唱』では、
- 楽園
- 約束
- 太陽
- 絶唱
の4パートがそれぞれ独立した物語。いわゆるオムニバス形式というヤツです。
ただ単純に短編集というわけでもなく、舞台や背景などは共通していて最終章の『絶唱』ではそれぞれの物語が関わり合う。
全体としてもきれいな一つの作品として仕上がっています。
『楽園』
ざっくりあらすじ
- 雪絵は彼氏の裕太に連絡もなしにトンガへと旅立つ
- 高校時代クリスマスにプレゼントした描いた絵・楽園へと辿り着く
- そして、あの日から抱えていたものを打ち明かす
この楽園が僕の中で一番響きました。人は未知のものに触れた時、それを過大評価します。だからかもしれませんが、本作『絶唱』は僕にとって未知なものに分類できるほどに恐ろしく影響を与えるものでした。
読み始めて、いきなり湊かなえという世界観に頬を殴られたような気がしました。正直なところ、なぜこの本を手にとり購入したのかもよく分かっていません。なんとなくで読んで本当に良かったのか?と読み進める途中で感じてしまいました。
この『楽園』は読み始めると序盤で誰もが違和感を抱くと思います。
雪絵が姿を消してから一週間が経つ。
という文から雪絵がこの物語のメインを担う人物だと疑わないでしょう。ただ、トンガの描写になると雪絵がこんなセリフを吐きます。
「濱野……毬絵、片仮名でマリエです」
ここで読者は混乱してしまいますよね。当然、僕も読んでいた時は意味が分からなかった。ん?こいつは一体誰なんだ。存在が曖昧なまま、物語は楽園へと続いていきます。
最後まで読んでみれば事の真相にはたどり着けるのだけれど、それがあまりにも残酷すぎる。
——なんで、あんたなの!
助かったのが雪絵なら、母はあんなこと言わなかったはずだから。
生まれた時から確定されている存在、両親。被災は命に関わるもので無事なら何よりも安堵・安心が表に出てくるはず。そうでなければ困る。
だが、この双子の母親は違った。自分の立場や責任を考えた時の不安・恐怖が命と天秤にかけた時に一番重いはずの命に勝ってしまった。
5歳児というこれから自我を形成していく子どもにとって、これはあまりにも恐ろしすぎる。
子どものときのことを憶えていない、と平気な顔をして 言う人は、普通に楽しく過ごしていたからだ。憶えていない、イコール、幸せ、だ。
あなたは子どもの時のことをどれくらい思い出すことができますか?雪絵を失ったのは5歳。5歳と言えば、幼稚園や保育園で年中くらいの年頃です。
成人した僕はもうほとんど憶えていません。イコール、幸せ、ということですね。普通に楽しく過ごしていたと思います。
『約束』
ざっくりあらすじ
- トンガの学校で教師をする理恵子のもとに婚約者の宗一が訪ねる
- 教会で二つの命に祈りを捧げ、保留にし続けた約束を果たす
『約束』は正直、読むのをやめようと思うくらいに胸糞悪かった。
求められることに甘んじて好意もないまま傍に居続ける理恵子。執着し相手をガチガチに縛り付けていないと気が済まない宗一。
本当に醜いなと感じた。けど不快感を覚えたのはそれに加えて、それが小説に限った話じゃなくて現実世界にも普通に存在してるよなって。お互いがお互いに依存する関係性。
命は二人の関係の副産物じゃない。一つの生命だ。結果的には流産だったけど、命を捨てたようにしか感じない。
どんなに求められようとも、わたしの人生に宗一などいらない。
読者と同じような第三者的思考を持ち合わせているのにも関わらず、言動と全く一致していない。ヒトとはそんなものなのだろうか?
僕の人生経験が足りないだけなのか、と読み進めるほど不安になっていきました。
でも、ひとつ言えることはこんな人生は死んでも嫌だということ。
死と言えば、日本とトンガでは死という概念に対してかなりの相違がありましたね。
悲しいのは別れであって死ではない。
これには少し考えさせられました。死=別れではなく、それぞれを分けて考える。だから死そのものが悲しいのではなく、別れることが悲しい。
頭では理解していても死者に対して笑顔でいるのは僕にはちょっとできないかな。祈りもしてないし。
『太陽』
ざっくりあらすじ
- 夜の世界ではたらく杏子は娘の花恋とトンガへバカンスに行く
- 憧れた人の所在を知り、想いを受け止める
『約束』と違うのは妊娠して出産したこと。種主が逃げても杏子は逃げなかった。だけど、やっぱり一人で子どもを育てるのは骨が折れる。
僕には子どもはおろか愛していると伝える相手もいません。妊娠することも出産することもできません。だから、どんなに想像を膨らませても杏子の気持ちを完全に理解することは一生かかっても叶いません。
——子どもは太陽だ。
政党のマニュフェストとかで掲げてほしいくらいの言葉です。日本のお偉いさんは小説とか読むんですかね?「原発が——」とか、「税金が——」とか議論する前にやることがいっぱいあると思うんですけど。
最近は子どもの遊ぶ場所が減って、外で遊ぶ子どもの声が聞こえてくることもほとんどありませんよね。
子どもが元気なら大人はどれだけでも頑張れる気がします。逆は成立しません。どんなに大人の人生が豊かでも、子どもは元気にはなりません。不可逆的です。
一番許せないのは、あたしが花恋の輝きを奪っていたことだ。
気づいて良かった。ほんとに。
『楽園』で毬絵の母は輝きを奪っていたことに気づかなかったから。でも、杏子は気づいた。
世界のすべての母親が子どもは太陽であり、輝くか否かは母親次第ということに気付いてほしい。子どもが笑顔なら世界は平和だ。
僕には子どもを輝かせることができるだろうか。作ったおにぎりを美味しいと言ってくれるだろうか。
ただ間違いないことは、これからの花恋の未来は明るい。太陽はさらに輝きを増す。そう思える物語だった。
『絶唱』
ざっくりあらすじ
- 大学生だった千晴の世界は一変する
- 尚美の助言で毬絵・理恵子・杏子のモデルになった人の話を聴く
- そして、物語を書く
読者にはオムニバス形式でそれぞれの物語がトンガという舞台だけで繋がっていたように見えていました。ただそれだけではないことが、ちゃんと『絶唱』で繋がりが明らかになりましたね。
「千晴、生きているわたしたちは何なんだろうね。どうして、静香が死んで、わたしたちが生きてるんだろう。ねぇ、どうしてだと思う?」
震災。それは世界を一変させ、人々の生活を根底から覆してしまう。
僕は運のいいことに生まれてから生きることに困ったことはない。周りのように立派に生きていけなくて死にたくなる、くらいの悩みしかない。いや、そんなものは悩みでも何でもない。そんな尺度で震災と比べようというのが失礼だ。
『約束』で死は悲しむものではない、とあった。でも、まだその概念には素直に賛同することが僕はできない。親しい者の死。それは到底受け入れられるものではないと思う。
なのに、大変でしたね、と続き、わたしは(僕は)あのとき~、と自分のことを語りたがるのは、境界線のもっと外側にいた人たちばかりなのです。
ハッとした。僕は完全に境界線のもっと外側にあたる人間だと。もし境界線の内側にいたら僕はこんな感想記事をつらつらと書くことはないと思う。それは、一瞬でも思い出したくない記憶のはずだから。
この小説の題は『絶唱』。最終章と同じになっている。
日常生活ではあまり使わない言葉だと思う。僕は一度も使ったことがないし、まず意味を理解していない。絶唱とは何なのか?
辞書的な意味は大きく分けて2つ。
- 非情に優れた詩や歌
- 感情をこめて夢中になって歌うこと
どちらの意味で使われているかと言えば、おそらく後者。
じゃあ、その部分のことを絶唱と表現しているのだろう。3人で浜辺で歌ったこと、書店の何百人もの人が行きかう前で歌ったこと、教会での大合唱、たくさんあって絶唱が何を指した言葉かが明確に示されていない。
僕の考えはこの作品全体。すべての物語に出てくる人たちの心からの叫びだと勝手に結論付けました。もちろん異論は認めます。いろんな解釈があるでしょう。
まとめ
こういった物語を読むと、海外に行きたくなる。人が違う、街が違う、価値観が違う。同じことを探す方が難しく、新しい発見しかない。
まぁ、海外って行ったことないんですけど。
本作はおそらく阪神淡路大震災がベースになった物語だと思います。
1995年1月17日。今となっては生まれていない世代の割合が大きくなっています。
境界線の内側にいなかった僕が偉そうに言えることはなにもありません。風化させず、忘れないことが大事だとか後世につたえる義務があるとか言える立場ではないから。
だから、『絶唱』という作品を薦めよう。そう思いました。
最後に
南の島へ全てを投げ出して逃避行をして、大切なものに気付きたい。
最後まで読んでくれてありがとね。Ash(アッシュ)@oborerublogでした。
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