こんにちは!
あっしゅ@oborerublogです。
川上未映子さん描く『すべて真夜中の恋人たち』を読んだので、感想を書き殴りたいと思います。
- ぼんやりと生きている人に刺さる
- 対極に位置する聖の生き方
- 物語の主題は何だったのだろう?って感じる
ぼんやり生きている・流されて生きてきたひとにとってはかなり刺さる物語。
まるで自分を見ているかのような錯覚に陥るかもしれません。
真夜中に読むと、世界に沈んでいけそうな気がします。
『すべて真夜中の恋人たち』とは?
社会人女性のお話。
繊細さが際立つ作品です。
「この作品好きだなぁ」と読み終わって感じる一方で人によってはひどく退屈させられる作品だと思いました。
ざっくりあらすじ。
- 校閲の仕事をする主人公・冬子はフリーランスに転身
- 三束さんと出会い距離を縮める
- 聖と口論になる
タイトルに恋人たちとありますが、恋する人間が何人も出てくるわけではありません。
物語性があると思ったら全然ない。
結局ののころよく分からなかった。けど、どういうわけか心にグサグサと刺さるというか抉り取られるような読後感。
冬子の関わり方
冬子は消極的な恋と言ったところでしょうか。
内向的な性格で自ら進んで何かをすることは無い人生。
印象的だったのは高校時代の同級生・水野くんの言葉。
学校では会話をしないものの、電話をする仲でした。
家に訪れて身体を交えてから、放った一言。
「自分の考えも、自分の言葉も持たないで、ぼんやり生きてる。学校でも電話でも何を考えているのかわからない。まぁ、何も考えていないんだろね。ただぼうっとしているんだ。僕は君をみてると、ほんとうにいらいらするんだよ」
仲が深まっていたように感じていたので衝撃でした。
考えも言葉も持っていない、ぼんやり生きる、という言葉の一つひとつが冬子ではなく、まるで自分にぶつけられた言葉のように感じました。
わたしは自分の意思で何かを選んで、それを実現させただろうか。何もなかった。だからわたしはいまこうして、ひとりで、ここにいるのだ。
流される。
ファッションとかの流行とは意味が少し異なる気もするけれど、他人を基準に生きている点では似ている。
- 両親が言った進学先に決めた
- 友達が行くっていうから行く
- 彼氏が音楽を聴く
全てにおいて流されることが一概に悪いとは言えない。
でも、自己決定を著しく欠いた決断は後々になて悔やむ結果になることが多い気がする。
いい影響があれば、悪い影響もある。それだけのことだけれど、なかなかできるものじゃない。
特にたくさんの情報であふれる世の中で暮らす僕たちは流されることが多い。
自分を貫き続けることができるというのはそれだけでも才能だと思います。
三束さんの嘘
カルチャーセンターで出会った年上の物理の教師をする男性。
徐々に二人の距離は縮まり、冬子は三束さんに恋心を抱く。
募る思いを打ち明けたものの返事はなし。
そして会うことは無くなった。
後日、手紙が送られ嘘をついていたことが明かされます。
物理の教師というのは嘘。工場を勤務していたが、職を失っていたという。
だから、何だったのだろう。だからパートナーとしては相応しくないということか。
そこが、全く理解できなかった。
読んでいてとても相性のいい二人でもっと先の展開が待ち受けていると思っていただけに、ただの読者でありながら何とも言えない喪失感がありました。
聖の強い生き方
この物語において主要人物として、忘れてはいけないというか語らずにはいられないのが聖の存在。
印象は一貫して『強い女性』。
- いつも正論
- 優秀な仕事っぷり
- 白黒はっきりさせる
- 妥協は一切なし
どこか蓮見圭一さんの描く『水曜の朝、午前三時』の主人公・直美に似ている気がした。
特に『強い女性』という点で。
冬子も比較的優秀なのでしょう。
そうでないとフリーランスには転身できないと思いますし、聖と対立する構図が早い段階で生まれていたはずです。
最後には口論になっていましたが。
「わたしはべつにそれが悪いって言ってるんじゃないわよ?ただ、そういうメンタリティでしょっていう話。自分から何も——できないのか、しないのか、そんなの知ったことじゃないけれど、自分の気持ちを伝えたり、動いたり他人とかかわってゆくのって、まあすごく面倒で大変なことじゃない?誤解されるのはうっとうしいし、わかってもらえないのはかなしいし、傷つくこともあるだろうし、でもそういうのを回避して、何もしないで、自分だけで完結して生きていれば、少なくとも自分だけは無傷でいられるでしょ?あなたはそういうの好きなんじゃないの?」聖は言った。
聖が見舞いに来た時に言い寄った場面。
結局のところ自分が一番可愛いだけなのかもしれない。
なぜか僕自身のことを言われているように感じてしまいました。
聖の言葉に心当たりがあるんでしょうね。
教師からド正論で説教をされているように長く・重い時間が流れていました。
「色々あるけど、こっちの世界もまあ悪くないわよ、はやく生まれてこい」
聖が子を授かり、男性と別れ一人で育てると決意。
当然、母親と口論になり絶縁状態に。
そんな話をしている中で、自分のお腹にいる子に囁いた一言。
もし、僕が父親になる世界戦があるのならば自分の子にこんなカッコイイ言葉を投げかけたい。
どんな理不尽や哀しみに溢れた世界でも強く生きていく自信があるからこそ言えること。
タイトル回収
結局、『すべて真夜中の恋人たち』とはどういう意味だったのか?
それが何なのかも見当もつかない、何のための何の言葉なのかさっぱりわからない、けれどわたしの胸にやってきてそれから消えようとはしないその言葉を、わたしはじっとみつめていた。
意味はない。
というのはなんだか拍子抜けというか、タイトルの意味が気になってこの作品を手に取った方からすれば裏切られた気分になるかもしれない。
でも、なんだかそういう言葉に昇華できないモノやコトって心地いいですよね。
三秋縋さん描く『三日間の幸福』の主人公は自販機を眺めるのが好き。
『あおぞらとくもりぞら』の主人公は回るものが好き。
『物語シリーズ』の詐欺師はこんなことも言っていました。
自分で自分が何をやっているのかわかっている奴なんているのかよ。
結局、そういうことなのかもしれないですね。
心の奥底で感じていたことが言葉となったのかもしれません。逆に何も関係の無いただの言葉でしかないのかも。
まとめ
作品としても充分に楽しめる内容でしたが、それ以上に自分の心を抉り取られて見透かされているような作品でした。
「戒めろ」と言わんばかりの強さを持った文章。
強さと弱さを同時に兼ね備えて、人生を歩む登場人物たちの姿は魅力的に映りました。
真夜中に読むにはこれ以上ない作品ですね。
また眠れぬ真夜中に読みたいと思います。
最後に
真夜中って世界に取り残された気分になるよね。
最後まで読んでくれてありがとね。あっしゅ@oborerublogでした。
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